クリエイティブノート

ニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションをはじめ、
優れたクリエイティブな世界をお届けいたします。
あなたの身近なところに歴史的にも優れたデザインやアートがきっとあるはずです。


倉俣 史朗東京都)くらまた しろう

(1934年11月29日 - 1991年2月1日)

最近、花屋さんでは様々な品種のバラを見かけます。野バラが咲くのも、GWを過ぎたこの頃から。この時期にふさわしい作品をご紹介します。

インテリアデザイナー倉俣史朗の代表作「ミス・ブランチ」。バラの花を透明なアクリル樹脂に閉じ込めた、曲線が柔らかく華やかな作品です。椅子は陽の光に当たって明るく輝き、床にはバラの影が映っています。
名前の由来は、テネシー・ウィリアムズ原作の戯曲『欲望という名の電車』の女主人公から。造花は日本中で手に入るものをすべて集めてセレクトし、バラを浮かんで見せるためにピンセットで形を整えながら、1粒の泡もできないように少しずつアクリルを流し込んであります。

ミス・ブランチは初め文房具で有名なコクヨでプロト・タイプが作られ、その後イシマルで商品化されました。発表された1988年当時の価格が200万円、生産数はたった56脚。希少という事もあり「ミス・ブランチ」は'97年にはロンドンのクリスティーズで、$89,000で落札されています。

ひとときの夢のように儚げで、重力から解き放たれたこの作品は、いまでも世界中のアーティストから注目されています。


Claude Monet クロード・モネフランス・パリ)

(1840年11月14日 - 1926年12月5日)

寒い冬も終わりが近づき、太陽の光が穏やかに差す季節になってきました。

今回は、「光の画家」の別称もあるほど、時間や季節とともに移り行く光と色彩の変化を追求した画家モネの代表作「睡蓮の池」をご紹介いたします。

モネは、言わずと知れた印象派を代表するフランスの画家です。同じモチーフを異なった時間、異なった光線の下で描いた連作を数多く制作しましたが、もっとも作品数が多く、モネの代名詞ともなっているのが1890年代終わりから描きはじめた『睡蓮』の連作です。モネはこの庭をモチーフに、亡くなるまでに全部で200点以上もの作品を作りました。

パリの西約80kmの郊外にあるジヴェルニーに移り住んだモネは、家と土地を購入し、睡蓮の池を中心とした「水の庭」、さまざまな色彩の花を植えた「花の庭」を造りました。パリ郊外の観光名所として多くの人が訪れるこの庭自体が、自分の「最高傑作」だとモネ自身が言っていたといいます。彼は浮世絵にも影響を受け、作品にもしばしば描かれている日本庭園風の橋を造るほどの親日家でもありました。


この作品は、香川県直島にある「地中美術館」に所蔵されています。
安藤忠雄氏によって設計されたこの美術館では、「睡蓮」シリーズ5点が、自然光で鑑賞できます。
さらに、チケットセンターから美術館へ向かう途中に、モネの庭が再現されています。

春の光を絵画と庭で感じられる素敵な時間が過ごせます。

Marcel Lajos Breuer マルセル・ブロイヤーハンガリー)

(1902年5月21日-1981年7月1日)

ドイツ、バウハウスの1期生であり、後にマイスターとして迎えられたマルセル・ブロイヤー。彼は、世界で最初にスチールパイプの椅子をデザインしました。スチールパイプの枠に帆布を張った椅子。今でこそよくあるデザインですが、当時はとても斬新な発想だったことでしょう。70年間も色褪せないデザインは、まさに「スタンダード」を名乗るのにふさわしい作品です。

1919年ドイツが第1時世界大戦に敗れた翌年、バウハウスは工芸大学・美術大学として、ワイマールに創立されました。その当時、日用品に「デザイン」という概念は存在しませんでした。それまでは、見た目の美しさよりも実用性ばかりが優先され、デザインは置き去りにされてきたのです。バウハウスの授業では、「形態」と「技術」の融合が図られました。

たた美しいだけの芸術に機能性を。機能一辺だった日用品に美しさを。

こうしてシンプルで実用的なドイツ特有のデザインが生み出されたのです。
バウハウスは1919年から1933年のたった14年間で、ナチスの台頭により、閉校されました。ふたつの世界大戦、インフレ、アメリカの世界大恐慌を受けた経済困難、こうした時代のすべてがバウハウスを揺れ動かしたのです。しかし、こうした厳しい時代にあったからこそ、理想の教育、理想のデザイン、理想の建築を渇望し、20世紀のモダンデザイン、建築の基礎を築き上げたのでしょう。「デザイナーズチェア」と呼ばれるものの多くは、このバウハウスを通過したデザイナー・建築家のものが多く、今なお人々を魅了し続けています。

小林崇 (こばやしたかし)

(1957年 - 現在)

静岡県生まれ。ツリーハウスクリエーター。 スタイルとデザイン、感性をコンセプトにしたツリーハウスを創作する日本のツリーハウス第一人者。2000年、ジャパン・ツリーハウス・ネットワークを立ち上げ、 2005年には有限会社ツリーハウス・クリエーションを設立。 沖縄から北海道まで、各地の風土・樹木に適したツリーハウスの制作にあたっている。東京・原宿の木造アパートを、路地裏に立つヒマラヤスギを取り囲むような空間に改装。現在は、ツリーハウスの情報を発信し、グッズ購入やLibraryとしても楽しめるサロン[HIDEAWAY]を運営。

〈二期倶楽部〉の「庭プロジェクト」の第1弾アーティストとして、小林さんは起用された。シンボリックな外観と木の上の自分だけの空間に憧れを抱く。
多くを語らずとも、もう誰もが気づいていることがある。
「生きる」ということを、人間だけの視点ではなく、自然から見るということの重要性。心と身体をつなげるあたたかい「アナログ・スタイル」の必要性。

小林さんのツリーハウスは、気づいた人たちに、次のステップの踏み出し方を教えてくれているようだ。自然の中で、自分のいる場所を知っている「カッコ良さ」が吹き込まれたツリーハウス。「自然との付き合い方には、こんな方法もある」と、目に見える形で存在している。

最近、取り巻く現状が大きく変わってきているように思う。できる限り自然に近づき、自分たちの状況・環境を調べ、感じることへの幸福を見つけている人たちが増えてきている。やはり人間は「木」が好きで、共に生き、育んでいく大切な存在だと感じる。



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〈岡山県に新たに登場したツリーハウス〉
アリオ倉敷と三井アウトレットパークの境目
「倉敷みらい公園」のツリーハウス
LinkIcon倉敷市:倉敷みらい公園について


北大路魯山人 Kitaoji Rosanjin (京都)

(1883年/明治16年3月23日 - 1959年/昭和34年12月21日)

新春に相応しく、椿の絵付けが華やかな鉢をご紹介いたします。
一見小さく思われがちですが、径43.2センチもある大きな鉢です。

この大胆かつ美しい作品は、美食家でも有名な北大路魯山人の代表作です。
料理はふさわしい器に盛ってこそ、本当に賞味することができるというのが、魯山人の持論でした。
「古いものでは上等すぎる、新しいものでは可哀想すぎる」
自分の料理を盛る器がないことが、作陶をはじめたきっかけでした。

彼の基本思想には、「日常の美化・日常の芸術化」がありました。
「北大路魯山人」といえば、倣岸不遜だとか野蛮だとか悪口を書かれたものも多数あります。
しかし、彼の器からは、謙虚で優しい人間性を感じられます。
器というのは必ず何かが盛られるもので、その「主役」分を控えて制作されています。
主役である料理や植物の分だけ控えておくことは、とても謙虚で優しいことです。
また、彼は小物や茶道具なと脇のものにも手を抜かず、懸命につくりました。

日常生活を大切にし、小さなことにも目を利かせ美しく生きた魯山人。
庭園も美しい足立美術館にも多数の作品が所蔵されています。
家族や友人「絆」を深めたい方と、日本の美しさをゆっくり鑑賞してみてはいかがでしょうか。